藍のふるさと阿波スマートガイド
Awa Smart Guide
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阿波人形浄瑠璃人形頭及び阿波源之丞座関連資料
■Commentary
 阿波源之丞座(げんのじょうざ)、深見巴龍(はりょう)・小巴龍(こはりょう)父子が阿波人形浄瑠璃の上演に用いた、人形頭(初代天狗久・天狗弁作)・人形本体・衣装・見台・丸本・床本・鼓・拍子木と興業ポスターである。
 若い頃から浄瑠璃に夢中であった深見定一(さだいち)氏(鴨島町飯尾)は、県下義太夫名人の一人として知られていた近所に住む高橋巴龍(本名嘉平)に弟子入り、第一の門弟として二代目巴龍を襲名した。阿波の伝統芸能である人形浄瑠璃の衰退を憂いていた定一氏は、せめて一座でも人形座を残したいとの思いから、昭和13年(1938)、廃業した三好郡の笹山金太夫一座を買取り、これを記念して鴨島の菊遊座(藍商の本カネマン:川真田市太郎氏が土地を提供し、本カネマン藍屋敷(現在の吉野川市民プラザ)東隣に開設)で5日間の興行を座主として取り仕切りした。その後も木偶(でこ)を買い求め、座名も「本家阿波源之丞座」と改め、昭和21年(1946)には、わずか16歳の子息利實(としざね)氏(小巴龍)が父に代わり座主となり、昭和23・24年(1948・49)には一座を率いて「四国路春の巡業」を行うなど県内外で活動している。昭和25年(1950)の天皇来県の際には徳島市の歌舞伎座での人形浄瑠璃公演に協力し、副知事から感謝状が授与された。父子2代で立ち上げ、引き継いだ阿波源之丞座であるが、昭和31年(1956)の大阪産経会館ホールでの興行を最後に一座としての活動は終了した。
 初代天狗久は本名吉岡久吉(1858~1943年)。国府町和田に天狗屋という工房を構え、昭和18年(1943)に86歳で亡くなるまで彫り続けた木偶は1,000を超えるといわれており、宇野千代の小説『人形師天狗屋久吉』で広く知られている。
 天狗弁は本名近藤弁吉(1873~1969年)。初代天狗久の甥で弟子。国府町矢野に工房を構えた。大正13年(1924)から昭和3年(1928)まで大阪の文楽座の座付き人形師となる。昭和29年(1954)、徳島県教育委員会から文化功労者として表彰された。
■ information
住 所
徳島県吉野川市鴨島町鴨島252番地1(吉野川市民プラザ内)
電話番号
0883-22-2001(吉野川市民プラザ)
営業時間
午前9時~午後10時
定休日
12月28日~1月3日
料 金
駐車場
URL
https://www.city.yoshinogawa.lg.jp/docs/2021032400048/
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■Category
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