熊本ぎょくとう観光ガイド
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7.国指定史跡 西南戦争遺跡  高月官軍墓地
■Commentary
ここ高月官軍墓地は、明治10年の西南戦争において、政府軍が亡くなった兵士を埋葬した場所で、980基の陸軍兵等を祀った墓石が並んでいます。西南戦争の政府軍墓地の中で現存する最大のものです。
明治10年2月に始まった西南戦争は、2月末には熊本城から城北のこの地までおよんできました。特に、田原坂・吉次峠・横平山の戦闘は激烈を極め、17日間で両軍あわせ3000人以上の戦死者がでました。
当初、政府軍は、ここから東に500m程離れた霊雨山正念寺に大繃帯所と呼ばれる治療場所を設けましたが、昼夜構わず運ばれてくる死傷者ですぐにいっぱいになり、境内に葬っていた死者も埋葬しきれなくなったため、ここ高月原の地を戦死者の埋葬地として選定します。戦死者の判別は難しく、一気にまとめて埋葬されたようで、
当時使われていた木製の墓標は中隊名までしか記されていません。
このように石製の墓石が整備されたのは明治11年、戦争処理が落ち着いてからでした、
墓石は天草の下浦石という砂岩が用いられ、下浦石工らが制作したものとされています。
軍の階級順に整然と並んだ墓石には、名前や階級、部隊名、出身地、死亡場所、死亡年月日が彫られており、全国各地の方が若くしてこの地で亡くなったことがわかります。
この高月官軍墓地はすぐ横を主要道路である三池往還が通っており、墓地を横目に戦地に向かう兵士の士気が下がるという事から、これ以後は奥まった土地に墓地がもうけられるようになりました。近くですと、この往還から少し離れた山あいの静かな場所に宇蘇浦官軍墓地があります。
一方、賊軍として扱われた西郷軍の墓は造られること自体、禁じられました。遺体は放置されていましたが、コレラの流行など衛生上問題があることから道端に穴を掘って埋められました。石を目印に積んだ粗末なものだったといいます。どちらにせよ、若くして戦地でなくなり、郷里に帰ることもかなわなかった人々が多くいたこと、戦争の不条理さを今に伝えるものです。
■ information
問合せ先
玉東町教育委員会
住 所
玉名郡玉東町木葉680
電話番号
0968-85-3609
定休日
土日祝
料 金
駐車場
URL
https://seinansensou.jp
その他
玉東町中央公民館内、木葉駅横ぷらっとぎょくとうに一部遺物展示有り(開館8:30~17:15)
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